KETTAWAYS(ケッタウェイズ)

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ケッタウェイズの写真です

「ケッタウェイズ」とは、その昔SBS(静岡放送)ラジオの夜の若者向け番組「1400デンリクアワー」で、アナウンサー(荻島正己、國本良博)とディレクター(鷹森 泉、佐藤信雄)4人で構成されたエレキバンドです。1978(S53)〜1984(S59)の6年間活動しました。
 1997.11.16に13年と1ヶ月ぶりの「再結成コンサート」、その14年と4ヶ月後の2012.3.4に「同窓会コンサート」が開かれました。
 その2年後の2014.6.21、荻島正己は62歳の若さで他界しました。

KETTAWAYS オリジナル曲

(以下、LINK設定してあるタイトルをクリックすると視聴できます) 

「トゥナイト・ザ・ナイト」夕焼けかわら版 version 作詞:ケッタウェイズ 作曲:荻島正己
「トゥナイト・ザ・ナイト」スタジオ録音版 作詞:ケッタウェイズ 作曲:荻島正己
「風よ翼に」スタジオ録音版 作詞:佐藤信雄 作曲:荻島正己


ジングル・コレクション


『夜をぶっとばせ!(ジングル版)』 「夜をぶっとばせ!」
『夜をぶっとばせ・第2楽章』 「夜をぶっとばせ!U」
『Tonight the Night(ジングル版)』 「夜をぶっとばせ!V」
『Precious Night』 「夜をぶっとばせ!W」
『Nice to Meet You』 「夜をぶっとばせ!X」
『If in This World』 「夜をぶっとばせ!Y」


コンサートPRスポット


・1st コンサート(1979.3.22) 「スーパーウォーズ」
・「フェスタぬまづ」ライブ(1979.5.26) 「大公開!」
・2nd コンサート(1979.3.22) 「ケッタ黙示録」
・3rd コンサート(1981.5.31) 「Silence is Golden」
・ファーストブレイク・コンサート(1982.3.25) 「大いなる休止符」
・4th コンサート(1983.5.1) 「伝説ではない」
・ファイナルコンサート(1984.10.13) 「走り続けた6年」
・再結成コンサート(1997.11.16) 「彼らの指は動くのだろうか?」



(ここからは、それぞれの音源の解説です)

「トゥナイト・ザ・ナイト」夕焼けかわら版 version

 前述の「ケッタウェイズ」のサードコンサートの告知のためにSBSテレビの夕方の番組「夕焼けかわら版'81」に出演し演奏したときの映像です。1981年5月29日(金)の放送でした。ベータテープで録画していたもので、再生できるか心配だったのですが何とか見られる状態でしたのでアップしました。なおこの時は番組名が「ぶっちゃけスタジオCut in!」に変わっていました。

「トゥナイト・ザ・ナイト」スタジオ録音版

 前述の夕焼けかわら版 versionもスタジオ録音と言えばそうなのですが、あれはスタジオライブ演奏と言った方が良いと思います。2テイク収録しての映像編集でしたが、2回とも一発勝負演奏でした。こちらはバッキング演奏を収録してからの歌入れ録音でした。勢いから言えばスタジオライブ演奏の方があるような気がします。音は当然こちらの方が良いとは思いますが。

「風よ翼に」スタジオ録音版

 ライブでは必ず演奏するケッタウェイズの曲の一つです。メンバーの佐藤信雄が作詞、荻島正己が作曲しました。伸び伸びとした夢見る明るい少女の姿と、その少女に憧憬の念を持って心を届けようとする青年の想いがさわやかに描かれた曲です。「風よ翼に 届く力を」のフレーズが印象的で、演奏していてとても気持ちの良い曲でした。

ジングル・コレクション_01『夜をぶっとばせ!(ジングル版)』

 SBSラジオ秋の番組改編期の深夜「夜をぶっとばせ!」という特番を何年か放送しました。その番組用にケッタウェイズは6年間にわたってジングルを制作しました。これはその最初(1978年)のジングルです。ヴォーカルを担当したのは当時の日替わり担当アナの4人(河野憲了、山仲宣城、荻島正己、國本良博)、デンリク四人衆と呼ばれていました。
 それにしてもこのコーラスはひどい!しかし誰も録り直しを言い出しませんでした。いや言い出せなかったのかもしれません。それでも翌年の「夜をぶっとばせ!」までの1年間このジングルをレギュラー番組のジングルとして使い続けました。この伝統は6年間続いたのです。

ジングル・コレクション_02『夜をぶっとばせ・第2楽章』

 「夜をぶっとばせ!」の2年目(1979年)のジングルです。荻島正己が自分の番組用に作ったジングル「You Look So Sweet」の歌詞を変えて制作しました。もちろんこれも翌年の秋までレギュラー番組のジングルとして使い続けました。

ジングル・コレクション_03『Tonight the Night(ジングル版)』

 「夜をぶっとばせ!」の3年目(1980年)のジングルです。この曲はジングルだけでなく、曲として完成させました。スタジオライブ・バージョンが以前からYouTubeアップしてあります。もちろんこれも翌年の秋までレギュラー番組のジングルとして使い続けました。

ジングル・コレクション_04『Precious Night』

 「夜をぶっとばせ!」の4年目(1981年)のジングルです。ここまで来ると自然にジングルは荻島正己担当となっていました。もちろんこれも翌年の秋までレギュラー番組のジングルとして使い続けました。

ジングル・コレクション_05『Nice to Meet You』

 「夜をぶっとばせ!」の5年目(1982年)のジングルです。荻島正己の才能は止まるところを知りません。いろいろなパターンを提示し我々も喜んで制作しました。これも翌年の秋までレギュラー番組のジングルとして使い続けたことは言うまでもありません。

ジングル・コレクション_06『If in This World』

 「夜をぶっとばせ!」の6年目(1983年)のジングルです。残念ながらこれが最後のジングルになりました。この後、荻島正己は静岡放送を退社しフリーの道を歩むことになります。荻島正己は曲としても考えていたようで「もともと《A Little Wish −小さな願い−》というタイトルを付けていたんだ」と言っていました。曲としても完成させたかったな…と思います。素晴らしいジングルでした。

1st コンサート(1979.3.22) PRスポット「スーパーウォーズ」

 当時の清水市民会館で開催されたファーストコンサートのために作ったPRスポットです。コンサート用PRスポットは基本的に2種類作っていました。その時々の映画音楽をベースにしたタイプと、「ジョニー・エンジェル」をベースにしたタイプの二つです。これは前者で、ナレーションは当時の上司「神村敏行(かみむら としゆき)」アナウンサーと「鈴木昭儀(すずき てるよし)」アナウンサー。その語りは毎回感動でした。
 映像は、当時のファーストコンサートのものです。

「フェスタぬまづ」ライブ(1979.5.26) PRスポット「大公開!」

 この時代、静岡県での夏祭りイベントに「フェスタぬまづ」「フェスタはままつ」「フェスタしずおか」がありました。ケッタウェイズは当時すべてのフェスタに参加していましたが、ライブの最初から最後まで動画がきちんと残っているのはこれだけです。沼津市民体育館での開催でした。前年12月の「スンプロックジャム」から作り始めたPRスポット、祭ということもありちょっと遊んでいます。別の仕事の準備もあり、前泊して飲み過ぎたのを覚えています(^_^;)
 映像は、当時のフェスタぬまづのものです。

2nd コンサート(1979.3.22)PRスポット「ケッタ黙示録」

 当時の浜松市民会館で開催されたセカンドコンサートのために作ったPRスポットです。なぜかこのライブは動画映像が残っていません。そのため、ファーストブレイク・コンサートの映像を使いました。この時はお客さんの歩留まりを6割ぐらいとみて、申し込みに対して2000枚のチケットを発送したところ、ほとんどの人が来てくださって大慌て!
 急遽予定内容を一部割愛して短縮し、2回公演にすることで全員に見てもらうことができました。番組でも平謝りしたことを覚えています。

3rd コンサート(1981.5.31) PRスポット「Silence is Golden」

 当時の焼津市民センターで開催されたサードコンサートのために作ったPRスポットです。この頃、静岡第一テレビの当時の若者向け番組「JAN JAN サタデー」(毎土曜夕方)と親交がありました。当時の静岡第一テレビ・プロデューサー里見親利さん(故人)がコンサートの模様を取材収録してくださるとともに、局の垣根を越えて「JAN JAN サタデー」の中で取材VTR映像を放送してくださったのです。その懐の深さに、本当に感激しました。
 映像は、当時のサードコンサートのものです。

ファーストブレイク・コンサート(1982.3.25)PRスポット「大いなる休止符」

 当時の清水市民会館で開催されたファーストブレイク・コンサートのために作ったPRスポットです。メンバーの荻島正己アナウンサーが、TBSの「朝のホットライン」のメインキャスターとして東京へ旅立つことになり、バンド活動の最初の区切りという意味で「ファーストブレイク・コンサート」という名前にしました。ひょっとして、本当の区切りになってしまうかも・・・という思いがありました。
 映像は、もちろん当時のファーストブレイク・コンサートのものです。

4th コンサート(1983.5.1)PRスポット「伝説ではない」

 当時の浜北市民文化会館で開催されたフォースコンサートのために作ったPRスポットです。荻島正己アナウンサーが静岡に戻ったわけではなかったのですが、ファーストブレイクから1年・・・練習はできていないけど荻島アナが静岡に戻ってすぐ活動再開できるようにと無理矢理開催しました。
 その無理がたたったのか、コンサート直前でドラムの鷹森 泉ディレクターが急性虫垂炎で入院手術となってしまったのです。すべての準備は終わっており、もうキャンセルできる状態ではありませんでした。その事態を助けてくださったのが焼津のバンド「後藤悟とタランチュラ」のドラマー矢川淑朗さんでした。リーダーの後藤さんの了承もいただき急遽ドラムを担当していただいたのです。曲の入ったカセットテープを渡したのが本番3日前。音合わせとリハーサルは前日でした。
 なんと矢川さんは徹夜で、コンサートで演奏する20数曲をすべてドラム譜におこしたのです。そして本番。完璧に叩ききりました。その見事なドラミングはメンバー全員頭が下がりました。今でも大感謝です。
 映像は、もちろん当時のフォースコンサートのものです。


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